鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記

d0151699_21523489.jpg


 ネパールが実家の人wが名著だと紹介していた川喜田二郎著『鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記』を読む。
1958年の春から秋にわたり京都大学生物誌研究会、日本民俗学協会の後援のもとに行われたネパール北部にあるトルポという辺鄙な未開の地域とチベット人の研究をした遠征隊の探検記。
 前半は日本の学界における、文献研究をやる安楽椅子学派や、白い実験着の上っ張りを着て、神々しい実験室学派にくらべて、野外研究学派は信用されておらず、出国するまでの苦労が書かれている。
 民族研究を外国人にやられると、自国民の野蛮な後進性を暴露される、必要なのは、近代的な技術の導入、近代的な経済と政治、社会主義的福祉施設である。・・・・・しかし、著者は「私は自分がそんな有害無益な研究をいているとは思わない。それどころか「人間」に関する研究を軽視し、「技術」と「経済学」と「国営」だけで奇跡が起こるというような考え方こそ、陳腐な思想だと思っている」と述べる。

現地に赴くと「第一、コトバが、はじめのうちは、なにを言ってるのか、とんとわからない。こんなひどいチベット語方言は初めてだった。そのわけのわからぬグロテスクな連中が、根気よくテントの前に集まって、中をのぞきこんではなんだか話し合い、羊毛の紡錘をまわしたり靴縫いをしている。テントの中には、これまた彼らからみてわけのわからぬ隊員どもが、ゴロゴロとのびて、テントの前の村人たちを珍しそうにのぞいてる。チンバンジーとオラウータンがおたがいに出会って「ハテナ?」と、観察し合っているようなものだ。この二組のサルどものあいだには、愉快な冗談とふざけあいがはじまっていた。私たちの若い隊員諸君はユーモアに富み、からかい好きであった。 相手の村人たちも、チベット人のご多分にもれず、朗らかで、ざれごとが好きそうであった。」

 滞在中の交流のエピソードからチベット人の特徴がよくわかる。
また、鳥葬という葬儀がある。死体を刻んで鳥にあたえる葬り方。実際に観察した詳細が書かれている。
「血染めのお守りがむなしくひとつころがっていた。それから、あたりの灌木の小枝には、えものを争ったハゲワシの柔毛が、風におののいていた。数輪の野菊が、風にそよいでいた。そして、昨夜のうちに見ちがえるばかり新雪をかぶったヒマラヤの山々が、吹雪あがりの断雲の乱れ飛ぶ中に、荘厳な風景を繰り広げていた。まことに、壮烈な詩の一遍のフィナーレではある。」

 またムクト=ヒマールというヒマラヤの処女峰に挑む記録も書かれている。

 最終章には、15年後に隊員たちが、再会し座談会を行った記録が付している。
これほど感銘の深かった日々を、私たちは一生のうちに、そう何度も味わうことはなかろう。今でも私たち隊員は、「もう一度あそこへ帰りたい。」という。

 私はいつか、ネパールを訪れて、ヒマラヤを見上てみたい。そして、チベット人たちに会ったら、本書のエピソードを思い出すことだろう。
[PR]
by mizunoawa921 | 2015-04-14 19:42 | 雑記 | Comments(0)