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My Foolish Heart

一の糸

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 文楽に興味をもつ青年が、文楽に造詣の深い方に勧められていた有吉佐和子著『一の糸』を読む。
恋愛小説はあまり読まないと言っていたが、私は本書は恋愛小説であると思った。最後は、スタバで読んでいて、涙が出てきた。冒頭から当時の街の人の情景描写が詳らかに描かれ、そして「下卑て間抜けて聞こえる大阪弁」を操る。有吉は生まれは和歌山県であることに納得させられる。
 
「躰の中に、まだあの一の糸の重く鈍く、深くあでやかな響きが残っている。その音を思い出しながら、父にどう云ってまた文楽へ連れて行ってもらったものかと案じてもいた。たった今、茜の体を揺り動かした一の糸を、撥先一つで操ることのできるその人に、ただもう逢いたかった。」文楽の三味線弾き清太郎が弾く一の糸の響きに心を奪われ、その感動は恋情へと昂っていくが、彼には妻子があった。大正から戦後にかけて激動の時代を文楽の三味線弾きに恋し、愛に生きる女性の一生を描いている。

 人に惹かれる時、その理由を考える、自分を好意的に思ってくれてるという、それとは別に、その人の思考や文章であったり作り出す芸術的な才能や、また成し遂げようとする行為であったりする。
 
 本書は文楽という芸能の世界を知ることができる。それは厳しく苦しく険しい道なのである。後半の芸道に生きる人々のプライドと確執は解説にもあるように実際にあった出来事をモチーフにしているようだ。

清太郎後の徳兵衛が素敵に思えるのは、男として恰好いいと思う要素があるからだ、芸道一筋に生きる、その姿は仕事人、または何かに挑む男の本業を体現している。ヒロイン茜はまだ封建的で自由恋愛ができない時代に自分の恋を全うし自由に生きることを選んだ。しかし自由に伴うものは、苦労であり孤独でもある。しかしその苦難も少しも不幸せそうに読者が感じないのは、なぜだろう。その原動力は惚れた男の為に尽くす、愛の力が漲っているからなのだと思う。女の本業とはそういうものかもしれない・・・・。

 二人の生き様に感動を覚えるのは、現代社会でも自分の信念、好きなことを全うできずにいる読者が読むからだろうか。
 
 文楽は昔、一度観に行ったことがある。しかし、三味線弾きの存在は記憶になかった。今度、鑑賞に行った時、人形、太夫、そして三味線の存在を意識するだろう。本書で読んだ稽古の厳しさを思い出し、一の糸の音が心と共に躰の芯まで響き渡り、茜のように足袋ではないが靴下を脱ぐくらい足の裏が熱く火照ってしまうかもしれない。
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by mizunoawa921 | 2015-09-14 15:32 | 雑記 | Comments(0)
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