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My Foolish Heart

カテゴリ:雑記( 146 )

今日は沢登にうってつけの日

 
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 雑誌「ウィルダネス」に「マホラシ渓谷」を遡った宮城公博さんの記録が載っている。また開高健ノンフィクション賞の最終選考に残った宮城さんの作品の選考が雑誌「kotoba」に載っているので、購読してみた。マホラシ渓谷の記録は、壮絶な遡行を宮城氏の文章力で惹きこまれるように読んだ。今日は私のジムトレの日で2冊の雑誌を購入してからジムに持参した。仲間の先輩が、「kotoba」の選考員の選評、「なぜそんな危ないことにチャレンジするのか、その根っこにあるモティーフが伝わらないもどかしさが残った」という批評に「そんなん、永遠のテーマやろ!!簡単に伝えれるわけないやんな そこに沢があるからやろ!!」と嘗て自分も初滑降の記録を出していた昔を思い出してか感想を述べていた。「ウィルダネス」を観て、この雑誌めっちゃええやん、買おかな!(貸してくれ!)を連発していた。
 選考員は、才能がある。刊行することで、次の段階に行って欲しい。とある。高い登攀をもって未踏の地へ挑むなら、それは冒険へと昇華する。その行為を表現できる文才があるなら、万人へ感動を与えることができる。私は早く『今日は沢登りにうってつけの日』が読みたい。
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by mizunoawa921 | 2015-10-05 20:58 | 雑記 | Comments(0)

一の糸

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 文楽に興味をもつ青年が、文楽に造詣の深い方に勧められていた有吉佐和子著『一の糸』を読む。
恋愛小説はあまり読まないと言っていたが、私は本書は恋愛小説であると思った。最後は、スタバで読んでいて、涙が出てきた。冒頭から当時の街の人の情景描写が詳らかに描かれ、そして「下卑て間抜けて聞こえる大阪弁」を操る。有吉は生まれは和歌山県であることに納得させられる。
 
「躰の中に、まだあの一の糸の重く鈍く、深くあでやかな響きが残っている。その音を思い出しながら、父にどう云ってまた文楽へ連れて行ってもらったものかと案じてもいた。たった今、茜の体を揺り動かした一の糸を、撥先一つで操ることのできるその人に、ただもう逢いたかった。」文楽の三味線弾き清太郎が弾く一の糸の響きに心を奪われ、その感動は恋情へと昂っていくが、彼には妻子があった。大正から戦後にかけて激動の時代を文楽の三味線弾きに恋し、愛に生きる女性の一生を描いている。

 人に惹かれる時、その理由を考える、自分を好意的に思ってくれてるという、それとは別に、その人の思考や文章であったり作り出す芸術的な才能や、また成し遂げようとする行為であったりする。
 
 本書は文楽という芸能の世界を知ることができる。それは厳しく苦しく険しい道なのである。後半の芸道に生きる人々のプライドと確執は解説にもあるように実際にあった出来事をモチーフにしているようだ。

清太郎後の徳兵衛が素敵に思えるのは、男として恰好いいと思う要素があるからだ、芸道一筋に生きる、その姿は仕事人、または何かに挑む男の本業を体現している。ヒロイン茜はまだ封建的で自由恋愛ができない時代に自分の恋を全うし自由に生きることを選んだ。しかし自由に伴うものは、苦労であり孤独でもある。しかしその苦難も少しも不幸せそうに読者が感じないのは、なぜだろう。その原動力は惚れた男の為に尽くす、愛の力が漲っているからなのだと思う。女の本業とはそういうものかもしれない・・・・。

 二人の生き様に感動を覚えるのは、現代社会でも自分の信念、好きなことを全うできずにいる読者が読むからだろうか。
 
 文楽は昔、一度観に行ったことがある。しかし、三味線弾きの存在は記憶になかった。今度、鑑賞に行った時、人形、太夫、そして三味線の存在を意識するだろう。本書で読んだ稽古の厳しさを思い出し、一の糸の音が心と共に躰の芯まで響き渡り、茜のように足袋ではないが靴下を脱ぐくらい足の裏が熱く火照ってしまうかもしれない。
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by mizunoawa921 | 2015-09-14 15:32 | 雑記 | Comments(0)

小さな異邦人

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 連城三紀彦著『小さな異邦人』を読む。連城三紀彦の再来と言われた米澤穂信著の人気作『満願』を読んだ。しかし、連城のような男女間を描く大人の恋愛が描けない。と批評にあり、連城三紀彦のミステリーを読んでみた。生涯最後の短編集となる。短編のミステリーは、どれも男女間の愛憎を描いている。
 一筋縄ではいかない、最後が見えたと思ったら、結末は予想外の大どんでん返しがある。恋愛とミステリー、全然ちがうようで深く繋がるような気がする。恋愛の始まり絶頂期は、嫌いになるとか考えられないほど愛情が深まる。しかし、それも終焉と共にその恋愛が深いほど、憎しみもまた深くなる。恋愛は憎しみへと変わり得る。狂気、一種の精神疾患とも思われる。 作品には大人の男女が出てくる。大人になるということは悲哀を経験するということだ。人生の悲哀を描く世界は抒情感に満ちている。米澤穂信氏も歳を重ねて、実体験からも大人のミステリーが描けるように思う。
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by mizunoawa921 | 2015-08-26 23:36 | 雑記 | Comments(0)

満願

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 米澤穂信著『満願』を読む。
テレビに著者が出演していた。三谷幸喜ちゃうん?と思ったけど、ちゃうかった。誠実そうな青年はミステリー作家とは思えない。山本周五郎賞、有名ミステリー大賞を獲得した短編集。

 題材が全く違い、著者の世界観の引き出しの多さを感じる。
ミステリーはあまり読んでない。トリックは興味あるけれど、あぁ・・・と納得させられる感情や文学的な文章や格言に感情移入してしまう。
 本書を読み保身と欲望、其々の守りたいものの為に、人間は頭脳を駆使する。狡猾さと共に人間の愚かさが描かれるのが、ミステリーなのかと思う。
 私が好きなのは、「満願」かな・・・・「柘榴」は怖かった。
 連城三紀彦の再来か?と言われた著者、だがライトノベルズ出身で色気のある作品が書けないと批評されていた。大どんでん返しと男女の恋愛関係を書いた連城三紀彦氏の作品と比較されていた。それならば、連城三紀彦のミステリーの短編を読んでみようと思った。 
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by mizunoawa921 | 2015-08-08 17:56 | 雑記 | Comments(0)

雪男は向こうからやって来た

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角幡唯介著『雪男は向こうからやって来た』を読む。
雪男を捜索しにヒマラヤへ向かう探検記。雪男???マジかいな??と思いながら、読み始めた。
 本書は、捜索記と共に、雪男を見たという山ヤなら誰もが知る山岳史に残る著名クライマーが登場し、山岳史を知ることもできる。

 あとがきに「角幡氏は、雪男を目撃した経験のある人々と行動をともにし、かれらと接することによって、人間の深淵に迫っていくことになる。深淵とは、人間の「業」や「運命」のようなものではないかと、私は感じる。神仏の実在を突如として感得し、その後、信仰の道に入ったひと・・・・相手からの愛を感じ、自分もまた相手を愛していると信じて、多くのひとが愛し合う。「神仏」や「愛」と、「雪男」とのちがいは、どこにある?・・・・あるひとはまったくその存在を感得せず、あるいはちょっと感得したとしても信じたりとらわれたりすることなく、ボーッとしていられるのか。まさに、本書のタイトルに込められた、雪男は、向こうからやって来る。」と書かれている。

 深淵に選ばれた人が私は好きだ。クライマーではない知り合いが、金持ちになりたいと頑張っている。野心があり人間として、素晴らしいと思い尊敬もする。しかし胸が締め付けられるような思いを抱かない。お金にもならない、夢や目標を持っている人に、なぜかどうしても惹かれてしまう。大きなことでなくてもいい、例えば何かこのルートを登りたい、あの山に登りたいとか、行ったことのない国のあの風景が観てみたいとか・・・・
 私の深淵は何なのだろうかと思い、本書を読み終えた。
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by mizunoawa921 | 2015-08-02 23:24 | 雑記 | Comments(0)

探検家36歳の憂鬱

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角幡雄介著『探検家36歳の憂鬱』を読む。探検家のエッセイ。早稲田大学時代から、冒険家になった経緯、自分の半生を描いたエッセイ。登山中、雪崩で死にかけたエピソードが出てきて、不帰・・・・冬行ったわ!!と懐かしく思う。富士登山ブームからの観察からの、現代人の心の病から冒険論へと語られるのは、解かりやすく面白かった。著者をよく知る、クライマーが著者の他のエッセイを読み、言語化された冒険論、と評し、少しヌルイ文章をユーモラスに批評していた。 先人の確固たる持論を述べた冒険論やエッセイより、読み易く、理解しやすいのは、本のタイトルにあるように「憂鬱」と言った、生き方にも逡巡しながら、謙虚に生きる、現代の青年の姿が窺えるからか。解かりやすい文章から、新聞記者だったことも納得させられる。
 名前から、おっちゃんか?と思ったが、写真を観たら、イケメンでモテナイ冒険野郎を自虐的に書いているが、今は結婚もされているようだ。今度は、受賞作のノンフィクションを読もう。
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by mizunoawa921 | 2015-06-12 01:50 | 雑記 | Comments(0)

『次の夢への一歩』

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 先週、トークイベントで講演された冒険家の阿部雅龍さんの著書『次の夢への一歩』を読みました。
彼の半生と共に、冒険の夢への経緯が書かれている。南米大陸単独自転車縦断や、こんな冒険もあるのか、と思ったのは、CDT、GDTという世界最長クラスのトレイルで、カナダ国境からメキシコ国境までアメリカを縦断しているロングトレイル。アマゾン川の筏下り。各冒険の内容がとても面白かった。
 最終章には、極地冒険、「南極点単独徒歩到達」へのトレーニングになる冒険としてカナダ北極圏での冒険の計画に触れている。最終章については、先週の講演の内容であった。
  
 本書は、若い人には読んで欲しいし、大人が読んでも感慨深いものがある。
私は、最近よく、後何年くらい登れるだろうか?とか元気な両親と後何年暮らせるだろうか?この先、出会いあるのか(笑)どれだけ友達になり人と関わり合えるだろうか?と考えてしまう。下手なクライミングのルートの完登と共に、人生を大切に改めて考えるようになった。それは年をとったということだ。
しかし、著者は、幼少期に死を身近に感じている。「人はいつか必ず死ぬときがくる。そのとき自分は何を残せるだろうか。」若い時から、そう感じ夢を追い努力を重ね、夢を実現させてきた人生が描かれている。
悔いがないように生きる姿勢が、感じられ著者の誠実さが伝わってきました。

 「できるとわかっていることだけしかやらない人生なんて、あまりにもつまらない。先が見えないのは不安だし怖い。だけど、先がわからないからこそ楽しいのも確かだ。そういう道を歩んでいかない限り、笑って死ねる人生を送れるはずがない。」push the limit!!
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by mizunoawa921 | 2015-06-06 00:28 | 雑記 | Comments(0)

千早day 冒険野郎報告会!

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窯で炊いたご飯と手作りのおかずでお昼ごはん
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初めて飲んだチャイ、甘いの苦手でどんなんかな?と思ったけど、めっちゃ美味しかった♪
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山に関する蔵書が沢山あります(*^-^*)
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岳人、岩と雪、ロクスノなどの山の雑誌のバックナンバーが揃っている(@_@)
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金剛駅近くのMILKで夕飯
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千早赤坂村にある、ネパールに関係した山図書(Typhoon文庫)をベースにした大人の山基地Dolpo.BC  主催の冒険野郎の報告会に行ってきました。
辺境クライミングのけんじり君こと小阪健一郎君、北極圏単独徒歩の阿部雅龍さん、北極圏走破を目指す極地自転車冒険家、倉内健治さん。

 けんじり君、クライミングジムが沢山できて、スポートが主流の今時、人の行かない岩や沢や滝や山を求めて辺境へと登りに行くのか?その理由が知りたくて今回、参加しました。
 けんじり君との出会いは、偶々FBで友達の友達ということで知り合った。ひどく落ち込んで眠れない日々が続いた頃、楽しいメッセージのやりとりの中で、さりげなく彼が言った一言で、私はぐっすり眠れるようになったw けんじり君と出会って気付かされたことは、世界は広いし、沢山の人がいる。小さな世界で私は生きているのだと思った。

 トップバッターのけんじり君、甑島ナポレン岩第三登、カリマンタン島バトゥダヤ初登、スラウェシ島ビアロ川敗退、ヘタ沖瀬初登、沓島、馬立島東壁、薩摩黒島初登 、ネパール未踏峰の偵察等、冒険野郎については→千早day 冒険野郎報告会!   結局、なぜ辺境なのかは?わからなかった・・・w 初登に拘り、それは冒険に通じるからなのだと私なりに解釈した。
 阿部さんの講演は、大学での講師やメディアにも取り上げられてるだけあって、プロ意識があり、ユーモアを交えて、とても解かりやすかった。倉内さんの講演は、めっちゃ面白く、冒険の意識と敗退との葛藤が、ユーモアてんこ盛りで、とても好感がもてた。

 みんなバスの時間があり夕方帰った後、私は、近所で残り組でいた。主催者カオリさんが、ネパールの未踏峰に遠征に行った、素敵なスライドショーを観せて下さった。故師匠のO西さんと共に行った、1ヶ月の遠征は、まるでNHKのドキュメンタリー画像を観ているようだった。初めて観た、ネパールの山々、チベット人の表情と村の景色。カオリさんが惹かれた理由がわかった。感動して、ちょっとウルウルきた007.gif
 居残り組で、私の最寄り駅のお仲間のカフェバーに行って夕飯を食べた。
 素敵な空間と時間と人達に巡り合えた。人生は短い、振り返る時間はもったいなく、ウジウジ考える時間は私にはもうない。前を向いてる人たちと出会い私も前を向いて登って行こうと、今日またしみじみ思った。幸せな時間をありがとう。今日出会えた人達に感謝して、今夜も、ぐっすり眠れそうだ。
ノラ・ジョーンズ「スリープレス・ナイト」♪   
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by mizunoawa921 | 2015-05-30 18:36 | 雑記 | Comments(0)

最後の冒険家

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 石川直樹著『最後の冒険家』を読む。
熱気球の滞空時間と飛行距離で世界記録を樹立、ヒマラヤ8000m峰超えも達成した神田道夫。
2008年に自作の熱気球で太平洋単独横断に挑み、海上で消息を絶った。
 著者は太平洋横断に挑んだ神田のパートナーでもある。神田道夫の軌跡を追ったノンフィクション。
石川直樹の文章は、とても上手い。簡潔で客観的な描写とノンフィクション作家らしく、自分の体験から出る自然体の言葉で読者にリアリティを感じさせる。
 「こうやって人は死んでいくんだろうな、と思った。自ら命を絶とうとしているわけではもちろんないし、病気にかかっているわけでもない。ビルの屋上などにある貯水槽を改造したクリーム色のタンクの中に入って、ぼくは冬の太平洋の真ん中を漂っている。上のあるハッチの隙間から時々海水が入ってきて、溜まった水がタンクの底の方でちゃぷちゃぷと不快な音を立てている。」

 神田の公務員として平凡な人生、音楽や嗜好から普通のオジサンに思える人となりとは世を忍ぶ仮の姿であり、気球は自らの生と直結するアイデンティティそのものだった。

 最終章には、冒険論と共に人間はどう生きるべきなのか?という問いに深く言及している。
「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験している生きることそのものだとぼくは思っている。日常における少しの飛躍、小さな挑戦、新しい一歩、そのすべては冒険なのだ。」
「世の中の多くの人が、自分の中から湧き上がる何かを抑えて、したたかに、そして死んだように生きざるをえないなかで、冒険家は、生きるべくして死ぬ道を選ぶ。ぶれずに自分の生き方を貫くことは、傍から見れば不器用に見えるかもしれないが、神田は本当の意味で生きていたのだ。」
 
 神田道夫の記録的な冒険とは、全くちがうが、私は一歩間違えれば、大怪我、命も落とすクライミングという趣味の道楽をしている。週末ごとに遠征に出かけ、あらゆることを差し置いて、嫌なことやストレスも我慢して、登りに出かける。気が付けば、この道楽は生涯的なものになりつつある。世間的には何もできていない自分の人生をいかがなものかと思いつつ・・・
 解説にあった言葉が胸に刺さる。「空を見上げれば、自分の目の前にある日常が未知の世界に繋がっている。ちっぽけな自分がけれども限りない可能性が見いだされる。」
小さい冒険を繰り返して、私は生きていくのだと、本書を読んで、そう思った。
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by mizunoawa921 | 2015-04-23 00:12 | 雑記 | Comments(0)

鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記

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 ネパールが実家の人wが名著だと紹介していた川喜田二郎著『鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記』を読む。
1958年の春から秋にわたり京都大学生物誌研究会、日本民俗学協会の後援のもとに行われたネパール北部にあるトルポという辺鄙な未開の地域とチベット人の研究をした遠征隊の探検記。
 前半は日本の学界における、文献研究をやる安楽椅子学派や、白い実験着の上っ張りを着て、神々しい実験室学派にくらべて、野外研究学派は信用されておらず、出国するまでの苦労が書かれている。
 民族研究を外国人にやられると、自国民の野蛮な後進性を暴露される、必要なのは、近代的な技術の導入、近代的な経済と政治、社会主義的福祉施設である。・・・・・しかし、著者は「私は自分がそんな有害無益な研究をいているとは思わない。それどころか「人間」に関する研究を軽視し、「技術」と「経済学」と「国営」だけで奇跡が起こるというような考え方こそ、陳腐な思想だと思っている」と述べる。

現地に赴くと「第一、コトバが、はじめのうちは、なにを言ってるのか、とんとわからない。こんなひどいチベット語方言は初めてだった。そのわけのわからぬグロテスクな連中が、根気よくテントの前に集まって、中をのぞきこんではなんだか話し合い、羊毛の紡錘をまわしたり靴縫いをしている。テントの中には、これまた彼らからみてわけのわからぬ隊員どもが、ゴロゴロとのびて、テントの前の村人たちを珍しそうにのぞいてる。チンバンジーとオラウータンがおたがいに出会って「ハテナ?」と、観察し合っているようなものだ。この二組のサルどものあいだには、愉快な冗談とふざけあいがはじまっていた。私たちの若い隊員諸君はユーモアに富み、からかい好きであった。 相手の村人たちも、チベット人のご多分にもれず、朗らかで、ざれごとが好きそうであった。」

 滞在中の交流のエピソードからチベット人の特徴がよくわかる。
また、鳥葬という葬儀がある。死体を刻んで鳥にあたえる葬り方。実際に観察した詳細が書かれている。
「血染めのお守りがむなしくひとつころがっていた。それから、あたりの灌木の小枝には、えものを争ったハゲワシの柔毛が、風におののいていた。数輪の野菊が、風にそよいでいた。そして、昨夜のうちに見ちがえるばかり新雪をかぶったヒマラヤの山々が、吹雪あがりの断雲の乱れ飛ぶ中に、荘厳な風景を繰り広げていた。まことに、壮烈な詩の一遍のフィナーレではある。」

 またムクト=ヒマールというヒマラヤの処女峰に挑む記録も書かれている。

 最終章には、15年後に隊員たちが、再会し座談会を行った記録が付している。
これほど感銘の深かった日々を、私たちは一生のうちに、そう何度も味わうことはなかろう。今でも私たち隊員は、「もう一度あそこへ帰りたい。」という。

 私はいつか、ネパールを訪れて、ヒマラヤを見上てみたい。そして、チベット人たちに会ったら、本書のエピソードを思い出すことだろう。
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by mizunoawa921 | 2015-04-14 19:42 | 雑記 | Comments(0)
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